現在の足立区北千住周辺は、奥州街道・水戸街道の宿場町として江戸時代から栄えてきました。
今では下町情緒あふれる、住みやすい街として知られています。
そんな北千住の歴史と深い関わりのある、千住宿の変遷についてご紹介します。
北千住の歴史:千住宿と千住の変遷
長い歴史を有する千住宿の変遷は、16世紀にさかのぼります。
1594年、隅田川に千住大橋がかけられると、北千住周辺は急速な発展を遂げました。
そして1625年、五街道の整備に伴い千住宿に指定されます。
以来、奥州街道・水戸街道の始点として日光や東北方面への人々の往来を支えてきました。
江戸からも近いことから、身分や性別を問わず多くの庶民でにぎわった歴史があります。
そして幕末には戦闘の拠点になるなど、激しい混乱にも巻き込まれした。
千住宿廃止後の変遷
明治時代には千住宿が廃止されますが、陸運・舟運の拠点としての変遷を遂げました。
そして千住河原町周辺は「やっちゃ場」と呼ばれ、青物市場が広がっていました。
また1893年には千住馬車鉄道が開通し、鉄道の街としても長い歴史を有しています。
さらに2005年にはつくばエクスプレスが開通し、北千住は都心と首都近郊を結ぶ交通の重要拠点となりました。
北千住の歴史:千住宿がモチーフの美術作品
千住宿としての歴史が長い北千住エリアは、さまざまな美術作品のモチーフとして登場しています。
絵画・浮世絵
現在の位置より200mほど上流にあった千住大橋は、歌川広重や橋本貞秀などの名所絵師の画題になってきました。
そして昭和に鉄橋へかけ替えられたあとも、芸術家たちの注目を集めています。
また松の名勝地としても知られており、葛飾北斎の「富嶽三十六景」でも千住や関屋周辺の様子が描かれています。
彫刻
1927年、千住大橋が木橋から鉄橋にかけ替えられました。
その際の木橋材から、冨岡芳堂が手がけた彫刻作品が作られました。
そして製作された美術作品は、千住の人々の手に渡されています。
琳派の絵画
千住には俵屋宗達から続く、琳派の絵師たちが暮らしていました。
琳派は華やかでデザイン的な画風で、金や銀を多用した装飾的な工芸表現を特徴としています。
千住では村越其栄が活躍し、屏風などの美術作品を製作しました。
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